1.神殿の崩壊の預言
・ユダヤ人はイエスをメシアと認めず、殺そうとしている。そのことによって、エルサレムは報いを受けるだろうとイエスは預言された。
―マタイ23:37-38「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、雌鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。」
・その報いは、人々の信仰の中心であったエルサレム神殿の崩壊として現されるであろう。
―マタイ24:1-2「イエスが神殿の境内を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。そこで、イエスは言われた。『これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。』」
・神殿崩壊は紀元70年のローマによるエルサレム占領で実現する。66年、ユダヤ人はローマに対抗して解放戦争を起こし(ユダヤ戦争)、敗れてエルサレムは破壊され、神殿は焼失した。エルサレム占領により、ユダヤ人は国を滅ぼされ、エルサレムから追放された。これを契機にユダヤ教は神殿中心から律法中心の民族宗教になり、変わってキリスト教が民族を超えた世界宗教として発展していく。
・弟子たちは「いつそのことが起きるのか、また何かしるしが与えられるのか」とイエスにたずねた。イエスは「多くの偽メシアが現れ、また戦争や飢饉等の混乱が起きるだろう」と預言された。
―マタイ24:4-7「わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。・・民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。」
・イエスの死後、メシア自称者に率いられた反ローマの騒乱が次々に起こり、それがやがてユダヤ戦争に発展していく。ユダヤ人たちは「神が自分たちを救うために介入される」として、最後まで抵抗し滅んだ。他方、キリスト教徒たちはイエスのこの勧告を聞いてエルサレムを逃れ、教会は残された。
―ルカ21:20-24「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。 そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。
・・・この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」
2.この終末預言を私たちはどのように聞くか。
・終末の時は滅びの時ではない。終末は福音宣教が完成し、神の国が来るときだとイエスは言われる。
―マタイ24:14「御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」
・紀元1世紀になると終末の遅延が問題になった。すぐ来ると言われた神の国が来なかったからである。その人々に教会指導者たちはイエスの言葉を引用して答えている。
―?ペテロ3:8-9「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」
・私たちは終末をどのように受け入れるべきなのか。まず目に見えるものはやがて滅ぶことを知るべきであろう。
―?コリント4:18「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
・目に見えるものが滅ぶとしたら、私たちが目指すものは、この世のものにとらわれない生き方である。地位もお金も家も全て滅びる。そういうものから解放され、自由に生きる行き方である。
―?ヨハネ2:15-17「世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。」